岐阜聖徳学園大学附属小学校

スポーツ王国岐阜
ぎふ清流国体は2012年開催!聖徳学園体感型WEBマガジン

HOME > イベント情報 一覧 > 降誕会 「ブタのいる教室」 生徒の感想

イベント情報

降誕会 「ブタのいる教室」 生徒の感想

2009/6/6

image

 5月26日(火)午後に、本校の宗教行事の一つ、「降誕会」を大学5101教室で実施しました。

 「降誕会」とは、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人のご誕生をお祝いして行われる行事です。平安時代末期の政治的混乱や天災飢饉が続く不安な時代に、聖人は1179年(承安3年)5月21日に、京都の東南、日野の地でご誕生になられたと伝えられています。親鸞聖人のご誕生があってこそ、釈尊(おしゃか様)の説かれた仏教は、どんな人も等しく救われる道として広まりました。また、阿弥陀如来の本願力による念仏こそが、本当に人間が人間らしく生かされていく道であることがあきらなになりました。

 開会のことばの後、全員で、「真宗宗歌」を歌い、灯り・花・お香をお供えし、「三帰依」で合掌・礼拝し、「さんだんのうた」「念仏」「恩徳讃」を歌った後、『ブタがいた教室』という映画を鑑賞しました。

 この映画は、1人の教師と32人の児童が「命」の意味と真剣に向かい続けた900日の記録です。命の大切さを学ぶために学級で飼い始めた豚を、「最後には食べようね」と言っていたのですが……。

 降誕会に際して、「いのち」について考えるよい機会になったのではないでしょうか。映画鑑賞の後、生徒たちは教室に戻り、感想文を書きました。その一部を紹介します。

 もう当然のようにいたブタだから、食べることはできないんだろうと思います。私はそんなことをするのはとてもかわいそうで、怖いことだから、殺すことはできないと思います。1年前から大切に育てていた家族のように温かく見守ってあげたブタだからこそ、最後まで大切にしてあげたことは分かります。でも、大切なものは食べずに家畜は食べるというのも少し変だと思うので、どちらかを選ぶとしたら、すごく悩むことだと思います。人は生きるためには命をもらって食べ物をいただいているから、普段から「いただきます」や「ごちそうさま」は、このような意味や思いをこめなくちゃいけないんだろうなと思います。動物たちの生きる意味も考えてあげることはすごいことだと思います。(中1)
 「ブタ」を通して命について考えるというお話でした。生きるという事は、物を食べていかなければなりません。だからブタも食べる物なんだけど、小さい頃から育ててかわいがっていると、いつも食べているブタとは違う感情をもってしまう。きっと私もそうだと思います。でも、命の大切さや大きさはみんな一緒であって、区別はできません。ほかのブタを食べている以上、このブタだけ差別はできない。命があって生きるという事は、他の命を犠牲にするという事。その命は私たちの体になって、私たちは生きていく。「食べ物」となる「命」に本当に感謝しなければならないと思います。(中2)
 この映画は、6年2組の子たちがクラスでブタを飼って育てて最後に食べよう!!という話でした。しかし、育てていくうちにみんな食べるのはかわいそうだと思うようになりました。自分たちが育てて、思い出もいっぱいある豚で名前もピーちゃんとつけて、かわいがっていたのだから、そう思うのは仕方ないと思います。でも、ピーちゃんは食べられないけど、他の豚は食べられると言うのもおかしいんじゃないかなぁとも思います。自分が生きていくためには、他の生き物の命をいただかなければなりません。ピーちゃんをはじめ、他の生き物の命を「奪う」のではなく、「いただく」という気持ちで感謝して食べるべきだと思いました。そしてそのために、食事の前後に「いただきます」と「ごちそうさまでした」という言葉があるので、私も私に自分の命をくれた他の生き物に感謝して、しっかり言うようにしたいと思いました。(高1)
 自分は、生きていくためには食べないといけないし、だから、私の犠牲になっている生き物のことなんて深く考えたことがありませんでした。通り過ぎていく車に牛とかが乗ってるとかわいそうだなぁと思うだけでした。でも、いざ自分が愛着をもって育てた動物を食べるとなると、嫌だ、食べたくないと思います。そう思うと、食肉売り場で売られている肉も、もとはといえば生きていて、その動物を育てた人もいます。私たちは命はもちろん、育てた人の気持ちまでいただいていると、私は思いました。普段、「いただきます」「ごちそうさまでした」という中には、すごくたくさんの意味や気持ちが込められていると感じた。だから、可哀想とかじゃなく、それぞれの命に感謝し、「ありがとう」という気持ちを込めて、食べ物をいただきたいと思うようになりました。(高1)
 映画を見て、すごくリアルな映画だなと思いました。あの小学生たちのように私もそのような状況だったら迷うと思います。人間は食べないと生きていけないし、食べないと死んでしまいます。かといってブタや他の動物も生きています。私たちは食べることによってその命をいただいて引き継いでいます。普段、何気なく食べていてその事について忘れがちだと思います。私たちは毎日の食事で必ず何かの命をいただいて生きています。この映画を見て、改めて食べることや生きること、命のことについて、考えさせられました。なので、これからも食べる時には、「いただきます」を忘れずに、また命をいただいていることも忘れずにしたいと思います。あと、残さずに命をムダにせずに食べていきたいと思いました。これからもその事を忘れずにしたいです。(高1)
 Pちゃんを食肉センターに送るか、3年生に飼ってもらうか、私もすごく迷います。最初に食べるということで飼っていたブタだけど、ずっと一緒に過ごしていると絶対離れたくなくなると思います。食肉センターに送るという結果が出た時は、本当に悲しくてつらかったと思います。途中で女の子がPちゃんは何のために生きてたの、と言ったけれど、本当に難しい問題だと思います。正直、私はお肉が大好きだし。でも、私に普通に食べられているブタが、私に食べられるだけのために生きていたかと考えると、絶対にそんなことはないと思います。映画を見た後の今でも迷います。とりあえず、今の私にできることは、好き嫌いを言わずにどんな嫌いなものでもありがたく、いただきます、と言って食べることだと思います。(高1)
 ブタがいた教室を見て最初に思ったのは一度始めたことをちゃんと終わらせるのはとても大変なことだなと思いました。始めたら大概、だらだら続いていくか、何となくいつのまにか終わっているかで、すぱんと区切りをつけて終わらせるのはとても勇気がいるし、まずたくさん悩まなければいけないので、あんまりするのは気が引けるものです。この話では子どもたちが必死に悩んだ末に、先生が最後に下した決断で、Pちゃんは食肉センターに送られましたが、これも始めたことに対する今までの思いを含めた最後の決断だったんだなと思いました。(高2)
 ブタを育てて食べることはとても大変で、命の大切さがよく分かりました。クラスのみんなは食肉センターに送るのか、3年生に引き継いでもらうのかをとても悩んでいるところがとても印象に残ったし、自分なりに考えてみるとやっぱり決断するのがとても難しいことだなぁと思いました。人間が勝手に命を決めていいことではないと思いました。(高2)
 命が大切と言えることは分かっているけど、ブタとか牛のような家畜、トマトなどの植物の命まで考えているのか?と考えさせられる話だった。子どもたちの意見は、どれも正しいと思えるものだったけれど、私は食肉センターに送ったのは正しかったと思う。もし先生が引き継ぎを選んでいたら、子どもたちはPちゃんをペットとして扱うことになっていたと思う。大切に育ててきたPちゃんを食肉にすることは残酷なことだけど、それが現実。命を無駄にしないこと、どんな命も大切だという本当の意味が分かった。(高2)
 最初先生は自分たちで飼育して食べる事によって命の大切さを教えようとしていたけど、名前を付けたりしてしまって子どもたちがもめたりしたが、命について話し合うことができた事はいいことだと思いました。他の先生が教科書の言葉で命について教えていると言ったが、耳で聞くより、見たり触れたりすることの方が命の大切さをより理解できるのではないかと思いました。日本は食べ物に恵まれているから、残したりする人がたくさんいるので、食べ物にも命があったことを忘れてはいけないと思った。(高2)
 自分たちで育てたブタを食べるか食べないか決めることはとても難しい事だと思った。それを小学生が話し合っているのはすごいと思った。高校生があの状況で話し合うことになったら、あんなに悩んで悩んで決めるようなことはないと思った。小学生だから自分たちで育てたブタについて、あんなに議論できるんだと思った。生徒のお父さんが子どもに「自分が子どもの時、鶏を殺して食べる大人を鬼だと思った。でも、その鬼の作る料理はうまかった」みたいなことを言っているのが印象に残っている。生き物を殺して食べないといけないのは、人間にとって仕方がないことだけど、それを体験できることはなかなかないと思う。この映画を見て、少し考えることができてよかった。(高3)
 小6なのにすごく難しいことについて考えているなと思った。今、高3の自分が考えても難しいことなのに、小学生は自分の考えをしっかり持って話し合っているのがすごいと思った。私だったら、食べるか食べないかを考える前に、ブタを、食べる目的で飼わない。最後、食肉センターに送ることになったけど、みんな生徒が悲しんでいたから、やっぱり最初から飼うべきではなかったと思う。(高3)
 もし自分が食べるためにペットを飼うことをしても、絶対に食べることはできないと思います。人が生きるために食べることは必要だけど、一緒に過ごしてきたペットを食べるのは気持ち的に無理です。でも、ペットとしてかわいがられるものがいれば、食べられてしまうものもいます。命の有難味をしっかりと理解しなければいけないと思いました。私たちが食べているのは元々命があったものです。食べる前には感謝して食べたいと思います。(高3)